中絶児の供養


中絶児の供養

 「胎児は妊娠した時から生命体であると認識している人」と、法律の文面通り「出産した時に初めて生命体として扱う人」とに区別した時、今は一般には後者が大半を占めると思います。またこの出発点のちがいによって、親としての心の思い、中絶児に対する供養の仕方に大きな違いが生じてきます。
  戦後母体保護法(旧優生保護法)が法律として運用された結果、60年経た今では道徳が風化してしまい、極言すれば『快楽の後処理』として母体保護法があるように思われてなりません。妊娠したら父母の都合が優先され、罪の意識なく中絶する。生命に対する畏敬の念なきに等しい人達を、より多く排出してしまっています。

 「中絶児への供養とは何か」を考えますと、
  @両親を慕って宿ってきた子を殺してしまった事への、心からの懺悔
  A中絶され生まれ出られなかった子への、真心からの愛念
         ──が大切です。

この二つは「生命は永遠である」との根本的な思想から生まれてきます。

 現在の自分は、親や先祖から切り離されたものではなく、言わば「人類の始めから将来に続く生命の営みの一里塚」が自分です。数え切れない祖先と父母、その中の一つが欠けても、今の私は存在しないのです。
  私の知人が二月初旬に子宮の定期検診を受けたところ、その時の産婦人科の先生が、「今は三人に一人が中絶している」と話をしていたそうです。
  その知人のAさんは「現在はマスコミや政治家が『少子化、少子化』と言うが、少子化になるような社会通念に踊らされ、『子供にはお金がかかる』『自分たちの時間が欲しい』『結婚しない』等々で子供を作らない人が多くなってしまっている。このままでは素晴しい日本が滅亡する。どうにかしてこのような現状を打破しなければいけませんね!」と言われました。
  またAさんは、「若い女性が男にだまされて、別れた後に妊娠している事がわかって中絶しようとしているのを知って諭し、踏み止まらせて、赤ちゃんの命を救った話」もされました。
  次にご紹介するのは、中絶したために引き起こされた問題や、それを解決した体験談です。


体験1   中絶の罪の意識にさいなまされて
          匿名 大学生(21才)

 麻酔が打たれ、看護婦さんと一緒に「ひとつ、ふたつ」と数えて、五つまでは覚えている。次に気がついたときには、病室で寝かされていた。白い天井を見つめていると涙があふれてとまらなかった。
  決して狂うことのなかった生理が遅れ、吐き気にしばしば襲われるようになったのが五月の半ば。ちょっとした気のゆるみが避妊の失敗を招いていた。
  この春卒業して就職したばかりの彼と、いま大学四年の私とは、結婚を約束しあっているとはいっても、即座に二人の生活を始められる状態にはない。休学して出産しても、育てられる自信もなかった。
  二人で同意書に署名し、判を押した。わが子に対する申しわけなさから、毎日泣きながら、自分に言いきかせようとした。「無責任に産んでちゃんと育てられないより、この方がこの子にとっても幸せなのだ」と。
  しかたがない、これしか方法がない、と思っていたのに、いざ手術を終えると、やはりどんなことをしても産めばよかったと強く思うようになった。

  退院してからも微熱がつづき、ふいてもふいても涙が出てくる。夜中に突然起き上がり、「赤ちゃんに会う。会ってあやまる」と飛びだそうとする私を、たまたま付き添っていてくれた彼が必死でおさえた。
  「どこへ行くんだ」「赤ちゃんとこ。赤ちゃんが呼んでる」「赤ちゃんどこにいる」「病院」「赤ちゃんもういないんだぞ」「どうして、赤ちゃんいないの」と彼の胸で泣きくずれた。我が子を殺して、今生きている私が憎かった。
  「いたい」とも「苦しい」ともいえず、死んでいった赤ちゃん。お骨も名前もない。私が元気になったら、二人で供養にいきます。ほんとうにごめんなさい。
     (流産児よやすらかに 11 Pより)

 こういう切実な女性の叫びの言葉を見ますと、中絶は女性を真底から苦しめていると心を痛めます。この女性は宿った赤ちゃんを中絶し殺してしまった事を、後で悔やみ、申しわけなさに涙に暮れています。そして二人で供養をしていきたいと心から願っています。
  この体験での女性は中絶された胎児(以下、人工流産児、又は、中絶児と呼びます)を心から供養しようとしています。その心は人工流産児に伝わり、その流産児も浮かばれます。また女性も罪の意識から救われていきます。相手の男性も同じ思いで中絶児を供養してあげなければなりません。


体験2   水子と長女に感謝
           大阪府 匿名  ( 四十才 )

 高校二年生になった長女が、四月八日の始業式に出席した後、「もう学校へは行かない」と言い出しました。一年からそれらしい様子はあったものの春休みも無事に過ぎ、安心していた矢先だったので落ち込みました。本来のあの子らしい優しく愛に満ちた顔ではなく、蒼白になってにらみつけるように私を見る長女を見て、どうすればよいのかわからなくなり義姉に電話をすると、「かおる(長女・仮名)に何かあったの」と先に言われてしまいました。
  私は義姉と長女と三人で、初めて修行道場にやってきて、個人指導を受けました。先生がおっしゃった第一声は「かおるさんはよい子ですね。この娘さんに連れられてお母さんが来たのですよ」と言われ、水子供養の話をして下さいました。その日は帰っていたのですが、以前義姉からも言われていたので「そうか、供養をしなくては」と漠然と思うだけでした。
  義姉が「とにかく修行道場に行こう」と言い出しました。かおるも「行きたい」と言って、二人で先に来ました。私も仕事の都合をつけて二日遅れで参加することになり、何も解らないまま来させてもらったのです。最初から参加していた義姉と長女に逢って、私が掛けた第一声は、「かおるちゃん、いい顔になったね。」でした。かおるは、「もっと早く来ればいいとずっと思っていたよ」と言ってくれました。私は心のどこかで「私は何も変わらないよ」と思っていて、姉には口にも出して言っていたのです。ところが来たその日からちょっとずつですが、何か心にピンとくる言葉があったのです。

 三日の公開個人指導の回答を聞いて、はっきり「水子が原因」と知らされ、四日の流産児の話を聞いてスッキリとわかり、なんだか心が晴れやかに軽くなりました。水子に詫び、一番辛かったであろう長女にも詫びました。
  これからしなくてはいけない事はただ一つ、「心を込めて供養しよう」と決めています。義姉が言った「何も心配することはない。きっときちんとよくなる。」というのは本当のことだったのです。深く感謝いたします。安らかな心で過せる修行道場へまた来させて頂きたいと思います。(体験談より)


  供養もされない中絶児は霊界で、堕胎された時の千切れた身体の状態で、寒い所で、裸で、苦しんでいると言われています。そのような悲しい状態に捨て置かれているのに、懺悔と供養をしてあげないのは大変かわいそうな事です。
  ここで中絶してしまった胎児の供養はどういうふうに、どういう思いでするのが良いのか、一つの方法をご紹介します。
  真の供養とは、金額や供物の多寡ではありません。私たちを、父として、母として慕って宿ってきた尊い生命を、無残にも殺してしまった、そのことへの深い懺悔をしなければなりません。魂の底の底から、 「申し訳ありません。赤ちゃん、本当にご免なさい。ご免なさい」と、全身・全霊でお詫びをする事が、何よりの供養となるのです。
  よく、殺された胎児が祟らないように、と高額な供養費を要求する寺院がありますが、流産児は、真心のこもった、暖かい愛の法施を望んでいるのです。

 私ども「天使のほほえみ」には、只今四十六支部の” 光の拠点 ”があり、その支部長により、具体的な供養の仕方や、それ以前に中絶をしなくてもすむ解決方法を、日々お伝えさせて頂いております。
  また、流産児供養の「霊牌」も、無料で配布しております。一枚(一柱)をご自宅でご供養なさり、あと一柱を百円以上で、当会のご紹介する流産児供養の寺院に奉納されますと、一日十回以上、一年間招霊奉祀し、供養されます。
  特に毎月行われる命日での供養歳に参加され、共に愛と懺悔の真心で供養されますと、流産児が救われていきます。
詳しくは、天使のほほえみの事務局までお問合せ下さい。(当会チラシ等をご参照)
 



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